ラフォーレ前のファッショニスタ

※画像はイメージです※
はっぴー?
秋のセンチメンタリズムにやられてない?平気?
無理に気を紛らわすことないけど、自分のことは大切にね。
あと、昨今のニュースに心揺さぶられすぎないように。
無責任に「大丈夫」とは言ってあげられないけど。
心配してもしなくても、なるようになるからさ。
できる限りのことを、最大限ね。
さて。
今年はわりとコンスタントに東京へ行けているので、
街で見かけたスーパーファッショニスタの話を。
ラフォーレ前の交差点で、格好いい人を見かけた。
友達と一緒に歩いている女の子。
服に着られている感じがなくて、ああ、素敵だなと思って見ていた。
するとデニムジャケットの左裾から、何かが揺れている。
\ やっほ /
値札だった。
バーコードのついた、あの値札。
……値札?
最初は、外し忘れたのかと思った。
ご友人も気づいていないのか、普通に話している。
本人も気にしている様子はない。
歩くたび、裾のところで値札が揺れる。
言った方がいいのかな。
いや、でも。
もしかして、そういう着方?
原宿だしな。
急に分からなくなった。
この「原宿だしな」が、なかなか厄介だった。
数秒前まで「取り忘れ」に見えていたタグが、急に翻って判断の難しいものになった。
何かのデザインなのかもしれない。
タグまで含めて着る人なのかもしれない。
自分が知らないだけで、そういうアイテムがあるのかもしれない。
トレンドセッターすぎる。
天才というのは得てして、凡人の数百歩も先にいたりするものだけれど。
可能性がどんどん増える。
何も変わっていない。
タグもその人の服装も、何なら景色ごと最初から同じだった。
変わったのは、自分がどこまで見たかと、その結果どう思ったかだけだ。
その順番も、たぶん影響している。
素敵な人が着ている。
だから、あの値札にも何か理由があるのではないか。
「外し忘れたのかな」が、「意図して残しているのかな」になる。
ずいぶん好意的な読み方をする自分がいる。
もし自分が格好いいと思わない服装だったら、どう見ていたんだろう。
きっと、取り忘れだと思ったまま通り過ぎた気がする。
あるよねえ、と思いながら何も言わずに思い出しもしなかったかもしれない。
わざと付けている可能性なんて考えもしなかったかもしれない。
だとすると、自分はタグの付け方を判断していたのか。
その人全体への印象から、タグの意味を決めていたのか。
アンチルッキズムにはまだ到達できそうにない。
服を見るときには、自分なりの「惹かれる」基準があるつもりだった。
サイズに「計算」があるか。
色がとっちらかってないか。
オーソドックスから外れた組み合わせにトライしているか。
細かいところまで意識があるか。
ジャッジはしない。そんな失礼なことはしない。
でも、目の前に格好いい人が現れると、心は案外あっさり動いてしまう。
大きすぎるはずの服が、ちょうどよく見える。
合わないと思っていた色が、その組み合わせならよく見える。
自分なら直してしまうところが、その人の魅力になっている。
はい。完全に色眼鏡。平等とはどこにあるんでしょうか。
自分が知っている基準で見ていたのに、その基準では説明できない人に出会う。
「間違っている」と思う日もあれば、「格好いい」と思う日もある。
その違いを、自分はどこで決めていたのか。
場所とかアイテム自体にも影響された気がする。
たとえばこれがラフォーレの前ではなく、近所のスーパーだったら。
近場にEDWINやLevi’sが無かったら。
同じ服、同じ人でも、自分は同じように意図を探しただろうか。
まあ結局「原宿だから」という着地が一番大きいのかな。
ここでは自分の知らない着方があるはずだと構えていたのかもしれない。
目の前の人を見ているつもりで、場所や思い込みも一緒に見ていた。
そこまで考えると、自分の判断がひどく頼りなく思えてくる。
でも、その頼りなさがなければ好みもあまり変わらないのだろう。
知っている正解に当てはまるものだけを格好いいと思っていたら、いつも同じところに戻ってくる。
わからないのに惹かれて、あとから理由を探すことだってあっていい。
少女に声をかけることは親切のように感じられた。
でも急に自信がなくなった。
その女の子の服装より先に、堂々と原宿の街を歩く姿があまりに良かった。
何がどうよかったかを説明するより先に、本当に分かんないけど「格好いい」と思った。
ご友人と一緒に何かを心待ちにしている楽しげな感じも含めて。
でもさ。
もし同じ人を、近所のスーパーで見かけていたら、どうだったんだろう。
野菜売り場で、デニムジャケットの裾から値札が揺れている。
カゴには大根とか入っている。
そのときも、そういう着方なのかな、と考えただろうか。
普通に、あ、値札ついてる、と思った気がする。
服も人も同じ。
違うのは、その人を見かけた場所。
それだけで、忘れ物にも、表現にも見えるものがあるらしい。
原宿を歩いていると、自分の知らない服に出会うつもりでいる。
どうなっているのか、ぱっと見では分からない形。
いつもなら組み合わせない色。
普段の生活では、なかなか見かけない分量の服。
そういうものがある場所だと、最初から思っている。
だから、よく分からないものを見たときも、すぐに間違いだとは考えない。
自分が知らない可能性を、いったん残しておく。
その構え自体は、悪くないと思う。
実際、知らないものは山ほどある。
服が好きだからって、世の中の服を全部知っているわけじゃないし。
ただ、その慎重さを場所によって使い分けていたことには驚いた。
原宿なら、自分が知らないデザインかもしれない。
近所なら、相手が外し忘れたのかもしれない。
原宿では自分の知識を疑って、近所では相手のうっかりを疑う。
もちろん、何でも同じ条件で見られるわけではない。
どこで見たか、周りに何があったか。
そういう情報も含めて、人は物を見ているんだろうし。
でも、自分では、その人の服だけを見ているつもりだった。
デニムジャケットを見て、着方を見て、格好いいと思った。
それだけだと思っていたところに、ラフォーレ前という住所まで、しれっと参加していた。
本人が何も言っていないのに、街の方が「これはファッションかもしれませんよ」と補足してくる。
いや、補足させたのは自分か。
その人の服装を細かく覚えているかというと、もう、そこまでではない。
値札を見つける前に格好いいと思ったこと。
デニムジャケットの左裾から、バーコードのついた札が揺れていたこと。
そこだけが妙にはっきり残っている。
結局、あれが外し忘れだったのか、意図して残していたのかは分からない。
本人に聞いていないので。
何があるか分からない世の中、若い女の子を怖がらせたくないし。
だって怖いっしょ。急に「そのタグってオシャレの最先端すか?」とか知らん人に言われたら。
こちらが勝手に、忘れたのかな、あえてかな、と忙しく考えていただけ。
そのあいだも、二人は普通に歩いていた。
こちらの中では値札の意味が二転三転しているのに、向こうの日常は何も止まっていない。
そりゃそうなんだけど。
もし外し忘れだったとしても、最初に素敵だと思った服装まで、急にだめになるわけではない。
反対に、あえて残していたと分かったからといって、必ずしも、その値札を格好いいと思う必要もない。
なのに自分は、意図があるかどうかを知れば、見方を決められるような気がしていた。
忘れたなら失敗。わざとなら表現。
そんなに都合よく理解できるものでもないだろうに。
値札がついていることに気づいた途端、その人がどう着ているかより、なぜついているのかの方が気になっていた。
しかも、その答えの候補を、場所から借りてきていた。
服を見るって、案外忙しいね。
形や色を見ているだけのつもりでも、知らないうちに理由を探して、周りの景色まで証拠にしている。
あの日、自分の目に入ったのは、確かに格好いい人だった。
それから値札に気づいた。
今のところ、ちゃんと分かっているのはそこまで。
もし次に、近所のスーパーで値札のついた人を見かけたら、あの日のことを思い出すかもしれない。
今度は何でもおしゃれとして受け取ろう、という話ではなく。
自分が何を根拠に「忘れてますよ」と思ったのか、ほんの一瞬、考える気がする。
ラフォーレ前の彼女は、結局、値札を外し忘れていただけかもしれない。
それならそれで、ちょっと面白い。
たった一枚の値札を前に、原宿への信頼と、自分の判断の癖を、まとめてぶら下げて見ていたのはこちらなので。
クリエイティブさに固定観念をぶっ壊される快感が欲しいなら、原宿行った方が正解なまである。
海外だとどうだろう。どこ行っても新鮮なのかもしれない。
なにせ本州から出たことないので…日本に見切りがつくのかどうかも今のところ不明。
本人の知らないところで、随分と考えさせてもらった。
あの日の少女は、自分の判断に少し余白をつくってくれた。
おしゃれに底も天井もない、と思えるようになった。
もちろんご本人はそんなこと知らないけど。
こちらがもうわかった気になったところから、また別のものが出てくる。
場合によってはド忘れすらもオシャレに転換できる、それがあの街でもある気がする。
タグはマジで取り忘れだったのかもしれない。
それでも、あの子は超~素敵だった。
そんな街。
たまに寄るぐらいがちょうどいい場所。
ちょっと坂を登ると、Macbook Proを現ナマで買い上げたAppleがある。
またなんか買いに行ってみようかな。
iPhone12mini、使いやすくてなかなか手放せないんだけどさ。
Love ya。