Yohji Yamamoto / 黒を重ねることの切実さ

黒いシャツに、黒いバルーンスカート。
その上から、黒のフロントボタンワンピース。
黒のブーツに、黒のG-SHOCK。
色だけを書けば「オールブラック」で説明が終わってしまうスタイリング。
しかし実際の服装はそれほど単純ではないのでして。
光を返す黒もあれば、吸い込むように見える黒もある。
……みたいな、何百もあるとかっていう話じゃなく。
ちょっと、一般的な話をするね。
暇だったら聞いてって。
「黒」の意味とかイメージって、どう?ありそう?
デザインとかやってる人だと「洗練」「強さ」「威厳」「高級感」みたいなところかな。
あ。「フォーマル」とかもあるんだろうか。
日常というか自分たちの生活におろして考えると、「不吉」「孤独」「無難」とかか。
知り合いに聞いたら「思想」って言っててさすがだなと思った。
うん。乱暴にまとめると、黒っていわゆる「アンチテーゼ」でもあるよね。
Yohjiの創設者(山本耀司 氏)もそう言ってるんだけども。確か。
ポジもネガも、どっちも分かる。
分かった上で、黒は「受容」でもある気がしない?っていう話をすこし。
箱の中の絵の具を全部混ぜるという悪ガキムーブをかましたとき、日焼けした黒服の色になってさ。
元気な色も、落ち着いた色も、ぜーんぶ混ぜたら「そこはかとない黒」になったのね。
で、喜怒哀楽の狭間にある感情って多分この色だなと思っててさ。
ありとあらゆる感情が一気に混ざったらもっと真っ黒になるんだろうな、とかね。
巷ではそれを「闇堕ち」と言たりもして、でも、そんな単純な話でもないような気がしてるわけで。
そんな自分はオールブラックコーデの方々を見ると、「全部受け止めてきちゃったんだな」と思う。
葛藤と混沌と切実さに、どこかが解れるような、途方もなく寂しいような、そんでいっそ尊敬してしまうような気持ちになる。
自分が”そう”なのかどうかは、まあ全然分かんないんですけど。
さて。FASHIONの最初の記事はYohji Yamamotoと心に決めておりましてな。
ぼんやりと生きがちな自分に「黒」の意味を教えてくれた大事なブランドなので。
私は恐らく、このブランドとずっと生きていくと思う。
明日のことなんて誰にもわかんないからさ。推測文でごめんよ。
服の所感ブログなので、それらしいことを書くなら、ですが。
「揺れて身体から離れる布」と「落ちて身体の動きについてくる布」の違いもね、置いとくね。
同じ面積でも存在感が違う、ということを書き逃げするだけなんですが。
「布地はデザインの中心にあり、独自の仕様で制作される」と説明されているコンテンツもある。
だから、黒というだけで服を理解しようとすると大事な部分を飛ばしてしまう気がしている。
黒を重ねる日は、必ず二種類の生地が自分の体の上にある。
表面が滑らかなものと、織り目の見えるもの。
軽いものと、形を保つもの。
境目がほとんど消える組み合わせもあれば、黒同士なのにはっきり分かれるものもある。
丈を見る。シャツをどこまで出すか。
袖を見る。袖口からどのくらい素肌を晒せるか。
色は増えなくても、線が増えていく。
そうやって、シルエットだけが残っていく。
正面の静止画では重たく見えた裾が、動くと急に軽くなったり。
反対に、写真や動画では好みに感じたアイテムでも、日常の動作では持て余したり。
黒でも白でも「一色だから簡単」ではなく、色以外のことを拾い上げられる人が、果たしてどれだけ居るんだろうか。とか思ったり。
どこでかったかも覚えていないフロントボタンワンピをただ羽織るだけにして、裾を翻している理由。
偉そうにしたいからとかじゃなくて、自分の歩いた痕跡を自分で知っていたいからかもしれない。
その奥に隠れたYohjiのコットンシャツが、自分の代わりに切実さを叫び、受け止めてくれている。
そんな感じで明日も着てると思います。
楽しもうね。