本文へスキップ

Yohji Yamamoto POUR HOMME /買わなかったジャケットの話

懇意にしてくださっている店員さんからご連絡をいただいた。
「財布を燃やす勢いで…」とご自身も自社ブランドアイテムを買いまくっている、信用のおける方。

彼女と出会ったとき、私は勧められたアイテムを1着も買わなかった。
ということで、服を買わずに帰った日のことを話します(唐突)。
ちょっと長いです。ドパ勢には厳しいかも。

Yohji Yamamoto POUR HOMMEのひび割れ刺繍のジャケット。
二型とも試着して、どちらも買わなかった。バカ高かったから。
理由はシンプルにそれだけ。


はっきり説明できないのは、試着したときの衝撃。
着てみると、恐ろしいほど馴染んだ。

「馴染んだ」という言葉は少し足りなくて、何というか、帰ってきたような気持ちになった。
初めて着るジャケットに「帰ってきた」もへったくれもない。
それでも、その言い方がいちばん近い。
そして何となく、「このブランドと生きていこう」と思った。
間違いなく決意していた。それは今も続いている。


ジャケット一着を買うかどうか考えていたはずが、急に話が一生分になっている。
おかしな話だけど、その気持ちまで冗談にしてしまいたくない。
買えなかったことを笑って話すことはできても、着たときに感じたものを流すことはできない。
残しておきたい。

26SSのタイミングで発表された「ひび割れ刺繍シリーズ」は、“マリオネット”をテーマにした1994–95年秋冬コレクションがもとになっている。ジャケットは当時のパターンやディテールから、フォルムや分量感まで再構築されているそうで、2026年から数えると32年前のクリエーションが出発点にある。
出典:Yohji Yamamoto公式


ジャケットには、白いひび割れが走っている。
ただ、布が本当に裂けているわけではない。
幾重にも重ねた糸で、ひび割れを作っている。

この子が出発点に立ったとき、自分もまた爆誕していたという事実に震えた。
や、1~2年くらい私の方が早いか。ということは、構想が練られているあいだにこちらが誕生していた可能性がある。

しかし、そんな単純な時間軸だけを「帰ってきた」の根拠にしていいのかどうか。
羽織ったときの、布と体の距離感がそう感じさせただけかもしれない。


ただ事実として、昔の服を振り返るだけでなく、その形を受け継いだ服に自分が袖を通した。
時空がどうにかなって、1994年のコレクションを生で見たわけじゃない。
当時のことを全部知っているわけでもない。ベイビーだし。
自分をあやしている手が誰のものかなんてことも分からない時期だし。

とかく、そこから長い時間を経て作られた服に、間違いなく「帰ってきた」と感じた。
「知っている歴史の長さ」と「服を着たときの近さ」は、必ずしも同じではないらしい。

あの白いひび割れは、糸を幾重にも重ねた刺繍でできている。
素材はトリアセテートとポリエステルのタキシード生地で、軽さと落ち感を備えているという。
出典:Yohji Yamamoto公式

ひび割れは、普通なら時間が経ったり、何かが傷んだりして現れる。
その線を、人の手で作る。
裂けたように見えるところを、糸を重ねて仕上げる。
壊れたように見えるものに、作るための手間がかかっている。
「壊れること」を作っている。
……そりゃ見るよ。
気になるに決まってる。
そういうことを知るたびに、やっぱり気になってしまう。

買わなかった服について詳しくなっていくのは、わりと困っちゃうよね。
諦める材料を探しているつもりで、好きな理由を増やしてしまう。あまりに人間すぎる。
この記事を書くために調べていても結局、あのジャケットのことを考える時間だけが長くなっていく。

これは恋ですか。恋ですね。

26SSと同時に発売された当時の税込価格は、三つボタンジャケットが180,400円、タブジャケットが198,000円。出典:商品・価格情報

高えのなんのって。
どう?わりと勇気が必要じゃない?そうでもない?
いずれにしろ、自販機で聞いたこともない謎ジュース買うより心理的ハードルが高い(それはそう)。

あの価格を前にすると、服への気持ちだけでは決められないってことを痛感させられる。欲しい理由をどれだけ丁寧に説明できても、お金がワカメ式に増えるわけじゃないし。作りや背景を知って、その値段に納得することと、自分が払えることって本当に別物だ。

買わなかった、よりは、買えなかった。
残高というより、財布を燃やす覚悟で迎え入れるほどの愛情まで手が届かなかったのかもしれない。
「いつか買えばいい」と軽く片づけることも、なぜか今はできない。いつか買えるかは分からないし、そのときに同じものがあるかも分からない。かといって、今買えない自分に無理をさせたいわけでもない。

買わなかった判断には理由がある。
その判断をした自分が、まだ欲しがっている。
どちらも本当だから、なかなか話が終わらない。
めんどくせえ彼女みたい。

写真で見ているだけなら、「自分が着たらどうだろう」という余地がある。
似合わないかもしれない。思っていた感じとは違うかもしれない。
そういう可能性を残したまま、画面を閉じることもできる。

でも、自分は二型とも着た。
月並みな表現をするなら、「知らなかった頃には戻れない」ってやつ。
着たらどんな気持ちになるのか、もう知ってしまっている。
なじんだことも、帰ってきたように感じたことも、なかったことにはできない。
試着してよかった。着なければあの感覚は知らなかった。


知らなければ、もう少し簡単に諦められたのかもしれないとも思う。
試着を勧めたい気持ちと、着てしまったら長いこと困り果てますよ、と言いたい気持ちが両方ある。

唐突に出会った一着を、ずっと諦めきれずにいる人っているんだろうか?
店で袖を通した人。
写真を見ながら、カラバリに迷っている人。
残高や給料日との兼ね合いを考えている人。
値段まで確認して、それでもまた見に戻ってしまう人。

もしそういう人がいたら、どこに惚れちゃったのか聞いてみたい。
縫い方なのか、形なのか、色なのか。
昔のコレクションにつながっていることなのか。
それとも自分と同じように、着たときの何とも説明しがたい感動なのか。

買うための背中を押し合いたい、とはちょっと違う。
高いものは高いし、それぞれに生活がある。
欲しいと言ったら、買うところまで行かなければならないわけじゃないと思う。

シンプルに、買えなかった服の話もしたって良いんじゃないかな。
未練がましいと笑われてしまえばそれまでなんだけど。

「買いました」という記事には、手元にある服の写真を載せられる。
着て出かけた話も、その後の変化も書ける。
ここにはそれがないだけ。
試着した日に感じたことが、ぽつんと存在しているだけ。

二着のジャケットを着た。
どちらも買わなかった。高かったから。
でも、帰ってきたような気持ちになった。
このブランドと生きていこうと思った。
そういう事実が存在しているだけ。

「買えなかったからこそ大切な経験になった」とか、お利口さんにまとめるつもりもない。
買えるなら買いたかった。なにも気にしないでいいなら、どっちも家に迎え入れていた。

あのジャケットが欲しかった。今もまだ欲しい。べらぼうに欲しい。
同じものを諦めきれずにいる人がいたら、欲しいよね、って情けない顔で笑いあってみたいとすら思う。


エモ?いいえ大真面目。
残念ながら笑うところではないかな。
笑ってくれてもいいけど。


たった一着を忘れられずにいる人と、もう少し。

← FASHION 一覧に戻る